第一回 物語は資源である(日本が千年、枯渇しなかった理由)

資源とは何か。

その問いを突き詰めると、物質の話ではなくなります。石油も鉄も、それ自体では資源ではありません。人間がそこに意味と用途を見出した瞬間、初めて資源になる。

つまり資源の本質は、物質ではなく「意味の循環」にあります。

そう考えたとき、日本という国が特異な姿を帯びてきます。

日本は、石油も鉄もほとんど持たない国です。しかし「物語」という資源を、千年以上枯渇させることなく、今や世界に輸出し続けています。アニメ・漫画・ゲーム・Web小説――これらは偶然の産物でも、戦後産業の努力の結果でもありません。

千年をかけて設計された「意味の循環系」が、今も稼働している証です。

資源循環の設計を業とする私たちには、この問いが他人事に思えません。

物質の循環系を設計する技術は急速に進んでいます。しかし意味の循環系(文化、物語、価値観)を次の世代へつなぐ設計は、誰が担うのか。千年後の日本を考えるとき、物質の持続可能性と同じ重さで、「意味の持続可能性」を問わなければならないと考えています。

ではその循環系は、どこから始まったのか。

出発点は『古事記』です。これは単なる歴史書ではありません。神話・歌謡・伝承を統合し、世界を「物語」として編み上げるという文化的姿勢を決定づけた書物です。自然現象や出来事を論理ではなく物語として受け止める――この「物語化の衝動」が、日本文化の最深層に埋め込まれました。

その衝動は、「八百万の神」という世界観と結びついてさらに広がります。石や木、道具にまで魂が宿るアニミズムの感覚が、あらゆる存在をキャラクターに変換する土壌を作りました。唯一絶対の神がいないため、キャラクターは無限に増え、互いに衝突・共存する群像劇が自然に生まれます。付喪神の発想が、現代の『刀剣乱舞』や『艦これ』のような擬人化文化に直結しているのは、この土壌があるからです。

物語を生み続ける衝動と、万物をキャラクター化する感性。この二つが重なったとき、循環の「原料」は確保されました。しかし原料があるだけでは、循環系は動きません。それを「使い倒し」「見せ」「読ませる」技法が必要です。

(第二回へ続く)

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